大自然への愛、野花のような人生を共に
恩師との思い出
恩師(五嚴 金洛鳳)がくださった文と写真を見ながら、高校1年生だった1980年から40年以上を共にした先生との思い出に耽る。
大自然が持つ本当の意味をいつも追い求め、野花をこよなく愛した恩師。写真をもって人生を支え、歴史を辿る旅行で世界文化を伝えながら、子供のように笑っていた人生の友、私の恩師。
分断の休戦線を越えて開城市の学生たちを教え、善竹橋を行き来し、開城市の食べ物や友達を懐かしみ、一刻も早い統一を願って涙を流した師匠。恩師とともに、好きだった大自然と野花の写真を携え、漢江でも、鴨緑江でも、豆満江でも、故郷を眺めながら統一の詩を作ろうと話をしていた。しかし、それが最後になるとは本当に知らなかった。死してなおも波に乗って故郷に帰るために仁川の海に遺灰が撒かれた時、この弟子も涙しながら先生の意思を引き継ぐと誓った。
そうして作られた「漢拏から白頭まで、そしてその向こう」は、独立のために身を挺した方々を追悼し、統一を願い、野花と文化に力を得て、より大きくより平和で幸せな世界を夢見ている。
今、韓半島を越え、その向こうに縁と縁を結び、繋ぎ、また、結ばれる縁の中には野花のような美しく純粋な世界が根を張りつつあるのではないかと考える。今日も恩師の遺志を受け継いで前に進む。真の師であり、人生のパートナーでもあった恩師に、尊敬の念を抱き毎日を生きている。
弟子に渡した言葉、世界中を駆け回って遺してくださった写真は、新しい光を受けて未来へと広めていくべきだろう。初めの一歩として、恩師の魂である野花の写真を、弟子の写真と集約し展示する。写真から、40年間師弟が紡いできた大切な心と大自然の美しさ、忍苦、愛の精髄と呼ばれる自然の響きを感じてほしい。この写真展を通じて、師匠が望んだ世界が必ず来るように、そして生涯を通して撒いた愛と平和、癒しと和解の種が根付き、新芽が萌え出ずることを願う。
弟子 高明柱
五嚴 金洛鳳(1926~2014)
43年間、北朝鮮の開城と韓国のソウルで国語教師、校長を歴任し、多くの弟子を教えた。日本にある韓国文化を記録するため、何度も日本の歴史紀行に参加し、多くの写真と韓国の伝統家屋、風景、人物、野生花の写真を残す。
韓国野生花研究所で、野生花の生態と記録に大きな足跡を残した。大自然芸術を専門とする韓道氏の多大なる影響と努力により茶道、水石、蘭、特に石菖蒲分野における韓国の第一人者となる。
従軍記者として生活し写真撮影を手がけた後、韓国最高の写真クラブである新像会の会員として30年間活動。約30回の作品展に参加し、韓国を輝かせた100人に選ばれる。
世界的な野生花写真作家である故ソン·ギヨプ氏と共に野生花を撮影。また韓国写真界の巨人、故ホン·スンテ氏と共に世界奥地ドキュメンタリー作業を行い、名作を数多く残した。大自然保育界総裁、詩人、写真作家。
*金洛鳳作家の写真作品は故人が残した1万点に及ぶスライドファイルを韓国在住の弟子高明柱様からご提供頂き、GALLERY 2511での数ヶ月に及ぶ整理・スキャン・修復・補正等の作業を経て撮影当時の情景を再現しております。
漢白 高明柱(1964~)
大学時代から写真サークルの会長として活動。「写真は時間を捉え、歴史を作りながら思い出を残す」という哲学を持つ。デジタルカメラマンの第1世代。
職場に通いながら写真同好会で活動し、グリーン文化活動で社会貢献国内展示に約20回参加。2000年からはデジタル撮影の写真作家として時代の流れを見抜き、野花と風景をデジタルで作品化。2002年に初めて個展を開き、野花と大自然の美しさの価値を人々に知らせた。その後、野花や大自然をテーマに、写真と歴史貢献を結び付ける作業をする。
2015年から歴史の縁で殉国烈士追悼文化展を開始し、韓国、日本、中国、ベトナムなどで展覧会を24回企画。
野花一輪を手に、恩師との約束を守るために独立に身を挺した方々の足跡を辿る。和解、愛、癒し、幸せを「漢拏から白頭まで、そしてその向こう」に、と心に願う詩人、写真作家。