ミニアート展2022 Vol.3

2022年新年早々から始まる第三弾は3部構成、総勢150名の出展者による展示になります。学歴や経歴・会派などにとらわれず、純粋な創作動機や自由な発想、直感に訴えかける力を重視しているところは従来と変わりません。

今回も「ビックリ箱」を開けたような、ワクワクする展示になるに違いありませんが、PART3まで計700点以上の作品群から伝わる熱い何かを、そして表現の多様性をぜひ会場で感じて頂ければ幸いです。

GALLERY 2511

 

会期

PART1 2022年1月13日(木) 〜 1月18日(火)
PART2 2022年1月22日(土) 〜 1月27日(木)
PART3 2022年2月10日(木) 〜 2月15日(火)
11:00~19:00、最終日は17:00まで
入場無料、事前予約不要。最終入場は閉館30分前まで
*日程や実施時間は状況次第で前後することがあります。

会場

GALLERY 2511
〒101-0065 東京都千代田区西神田2-5-11 出版輸送ビル3F

アクセス方法を確かめる

ご来場頂く皆様へのお願い
土日・祝日の14:00~16:00の間は混雑が予想されますので、状況によって入場制限を設けさせて頂く場合はございます。つきましては、時間を気にせずゆっくり作品をご鑑賞されたい方やお急ぎの方は、混雑が予想される時間帯を避けてご来場頂けますようお願いいたします。

 
出展者リスト(出展順、敬称略)

PART1 2022年1月13日(木) 〜 1月18日(火)

平面:華川夕 Casarin 長嶋一孝 冨岡弘 冨塚裕子 よしおてつ 武内雄大 安芸山エリコ 渡辺由美 JAMO©︎ 佐藤雅美 Nelson Hor 宮原俊介 佐藤芳美 13番 pk 胤舟 コスタ朱理蘇 Tae 高田しおり DINGWEI つるはる Shelly CHEN ノグチタクマ いいだやすよ 橋村誠 sol mizuki.S 柴田彩都 松尾帆乃華 岸辺カモメ 河西明加 やまざきのりこ 狩谷穂波 Kris Kou 未生希 world.ink_oshow drop of moon
立体:上岡かずみ 不動寺隆 Kaori 245 riroco-candle 水土竜 光山美由貴 TAYA 金到然 木麗

 
PART2 2022年1月22日(土) 〜 1月27日(木)

平面:しおり 友廣芯 NAOMI nojem Ripplepip MISAKI R!CO. HAKURO ぽよさか 宮嵜久美子 Ripplepip YOSHIHARU Vocalbluesguitar 中山優輝 張詩笛 アトリエ佳子 kazeasobi ヨンコ 桜嘉 hizume. すずめ 山田徹 熱燗 ぽのふう Kaya 矢田明子 百上奈歩 FuReRu.by yuho 車林林 わたなべみつこ 車媛媛 善養寺ススム 大野 幸子 曼荼羅アーティストSachi atsumi Shinichiro ちぃ 七条やち hide 中原三都 ハセナオ
立体:yuca umemoto キャンドル工房花逍遥 soumari 友絵 88888888 hito. sky soil 革工房Broonie 秋山夏海 Like an Angel jacobollbie 江口真代

 
PART3 2022年2月10日(木) 〜 2月15日(火)

平面:Kiko SUMIRE ブチャラティO ゆみりん taniyan hanajp12 shu mizuhara トモもも 二乃宮金海 清水優 saki haRumi/. XU YAN7 whitemoo YuuuRA/誘楽 momomimu あい。 陳天逸 王睿 Osho anomatoi 小林織世 MEG No.5 itsuart GOYAMASAKI Momoko Sato MASAKO まにゃ 浅岡知里 曽根睦子 Qfuyue imata maka akane 山岳三峯 junu Little Fluffy Rice wacaco nanam!n 村松亜樹 
立体:sisai 村上義彦 中奥麻美(工房キギシ) ruru たかもりあつし Woolen Dogs*Samantha* 林浩賢 深澤明日香 cokets. 羽場元則 Originarium EKORROT

 
150人の表現とは…

エネルギーのかたまり 生み出す源 富の象徴 人生の癒しであり幸福 自身の放浪と再発見 落とし物預かり所 嫋やかなもの 大切なもの 他の人が見ていない、あるいは存在することさえ知らないものに気づき、それを創造すること ライフワーク 思い付きと思い込み 私が存在した証をこの世に残してくれるもの 感情 世界を明るくするもの Unaware of where the truth ends and my life begins. こころの癒し 心との対話 日々の中にあった小さな大切 命 自由奔放 呪縛 無になる時間 拘りは死んでも手放さない 希望 心の拠り所 深淵のような存在(深淵をのぞく時、深淵もこちらを覗いている) 自己表現 博打 癒しであり人生そのもの 存在できる拠り所 アーティストのある信念を世間に知らせる為に存在する言葉 心の中にある希望 自分との会話 楽しくてやめられないもの インスピレーション 繋がることで完成されるもの 自己満足から始まるもの 解放 日常 人の心に彩や癒しを与えてくれるもの 偶然な出来事 共存しつつ表現の自由は心を豊かにする 愛 内なるエネルギー 私 あらゆる事柄を繋ぐことができそしてそれを誰もがそれぞれに感じ気付く事のできる唯一のツール 毎日 自尊心を養うためのもの 生きる証 世の中をつなぐもの 非日常に誘ってくれる存在 欲望 世界平和 感動とひらめき 笑顔の源 人生のテーマ 創作はわたし自身 創作はトランスフォーム 心に届くもの 私自身 「世界は美しい」と気付かせてくれるもの 私の生きた証 逆行・回帰 色とはモチベーションであり癒しである 幻想のニュアンスを可視化する 心の澱みを昇華してくれるもの 感性の流れ 伝える力 心の豊かさを表す鏡である 曼荼羅で人生を豊かに 自己表現 感性の赴くままに風刺する作業 たばこのようなもの 自由 心の解放 癒し Powerを与えるもの 楽しいもの 作ることは生きること 頭の中の世界と外の世界の架け橋 ホッとする時間 生理現象 創造と空想と癒しの空間 私がこの世にいる使命 天職 人の個性と魅力を表現できるもの 癒し 自分を知るもの 色の魔法で皆んなHappy 解毒剤 心に刺激を与え穏やかさを呼び戻してくれるもの 生きていた証 好きをとにかく詰め込むこと 現実を映し出す理想 心の栄養 人間の不完全なところを突破して限らず完璧に近づくもの 写実画だけど写実だけじゃない 一筆入魂 自己肯定 ぬり絵は心の世界平和 小説 表現しなきゃ人生損 解釈が自由なもの コミュニケーションツール 唯一の取り柄 固定概念に対する問い発見と再現感覚、思考をアップデートするもの 心を豊かにしてくれるもの 好きなもの 人生そのもの 生きること 個人の内包する世界を極めて高い純度で表現していること(意識レベルでイメージしないこと) 作品が我々の想像できない範疇にあること 自分を認められる手段 心を動かし癒してくれるもの ストレス発散 自己表現、生きること 文章にある句読点のように、人々にとっての心の休憩となり、ほんの少しの安らぎを見いだして、この世界で、小さな光になるもの 描くことは探すこと 自分の世界観であり無限の旅である 最大の自己表現 日常にするべきもの 自然の美しさの探索 心の友 この世の全てのものであり宇宙そのものである 共に生きること 笑顔になれる動物たち 言葉を超えるもの 人と人とをつなぐ赤い糸 自由と開放そして一期一会 楽しみながら自分を惜しみなく表現すること 癒し 必ず誰かの心に癒しを与えられるもの
 

 
展評「ミニアート展」の意義

 
現代とは

今日、あらゆる既存の概念が揺らいでいる。疫病前から、シンギュラリティによる社会変化が懸念されていた。しかもそれは環境、人口、格差、災害、食物等の様々な問題が未解決のまま前提となっている。
世の中の価値観は、なだらかに変化している。例えば喫煙。敗戦後はホームどころか電車内でも可能だった喫煙は、駅構内どころか、街中ですらも禁止され、自宅でも近隣を配慮すべきであり、特定の場所のみで可能になってしまった。
1965年の日本の男性喫煙率は80パーセントだったが、今日では27パーセントである。癌の原因、受動喫煙、迷惑行為と声高々に叫ばれ、喫煙者は犯罪者扱いだ。マスク、イヤホン、歩きスマホで人に当たっても謝らない姿が、これからは当たり前になる。

私の世代の価値観とは、なぜ学問し働くのかとは「世のため、ひとのため、そして自分のため」であった。これからの、もうなってしまっているであろうが、価値観は、親も子も配偶者も含まれない「自分だけのため」ではないだろうか。

美術の概念が問われながらも、誰も解決に導くことはできない。それぞれの立場があるからだ。天才、高級品、国際的という特権視から、民主主義的に「誰でもアーティスト」という発想の間に、どれだけの数の主張が犇めいているだろうか。教育の現場に目を移せば、児童画はどこでも強く推奨されているにも関わらず、小中高では次第に減り、美術大学へ行く、など特別視されてしまう。現在、中学では、美術を習う、のではなく、ビジネスモデルとしてのアート教育が為されてきている。

日本で一般的に評価されるアートは、マスコミに登場するという著名な立場、芸術院や日展などの栄誉であろう。専門的に見れば、研究者の評価基準は国際的な活躍であり、ほとんどのコレクターは高級品として認められている作品以外に手を付けない。
第二次世界大戦以後の美術の価値観とは、前衛性、即ち精神性や持続性、世界問題に対してどれだけ目を向けているかといった方向性であった。戦中戦前は、世界で一番だということも含めて、いかに皇国史観に則っているか、または高度な技術が不可欠であった。
美術という概念は明治時代に発生したというのが研究者の見解ではあるが、それ以前にも今日美術と定義される作品は存在し、その評価基準は当時の権力者、将軍であり僧侶でありの生活の装飾であろう。それが今日では、庶民の流行と混合されて美術館に展示される。このように美術とは、時代の流れに背くことができない。今日、最も評価される作品とは精神性ではなく、如何に高額で取引されるかにある。アートフェア、オークション、アニュアル、ビエンナーレ、トリエンナーレといった国際展が、セットになっている。
 

現代とアート

庶民の手が届かない高額なものがアートであると、定義されてしまっているのではないだろうか。日本のアート一般の見解では、上記のように著名であること、高額であることと同様に、著名な画廊での取り扱い作品であるかも問われていく。つまり作品そのものと自己との関係性ではなく、作品の背後にある権威と金額と信頼であろう。そこには保管、シェア、支払い、管理というサポート信頼も含まれている。これは、今日の人間関係そのものだ。一人の人を好きになるように、作品を愛する時代は終わった。
それでも我が子の幼少の絵をいつまでも壁に貼っておくことは、法律でも条令にも禁じられていない。社会でどのようなアートの定義が為されようとしても、我々には自己が愛し、信じる美術を守ることが、まだ可能である。
何を以て美術であるかといった定義を、まだ、それぞれが持つことができる。それでなくとも敷居が高いとされるアートの世界で、自らの見解の規範となるものを探すことが困難な時代の中で、自己の判断に自信を持つことは不可能に近い。

批評が無効の時代に、何を判断基準にすべきか。学歴、マスコミ注目度、コンテスト受賞、団体展入選といった、作品そのものとは掛け離れた内容に目を向けるしか方法がない。自分の審美眼を鍛えるために、どのような作品をSNSで見るべきか。美大を出てないので、ユーチューブで制作方法を探し、試してみる。美大内の学生達の間でも、かつてあった美術体系は意味を為さない。インターネットで見つけた作品がなんとなく好きだから、それっぽくやって、そこに発表することが当たり前になった。
人間を知り、深めるためにあった美術、文学、音楽、映画などはその役割を終えてしまった。多くの人に「いいね!」や「リツイート」を貰えることは、換金に繋がる。高額であることしか、意味を為さない時代の中でも、やはり個を求める人々は存在する。
 

ミニアート展

学歴でも、技術でも、金額でもない。かといって素人のサークル的集まり、日用生活品程度の作品、薄利多売ではない場所は、どこにあるのだろうか。そのような立場を担うのが、「ミニアート展」ではないだろうかと、私は思った。自らの作品を発表するためには、どうしたらいいのか。コマーシャル・ギャラリー=企画画廊が無名の自分を取り上げてくれる訳がない。貸画廊は高いし、作品をそれ程制作していない。

「ミニアート展」では、「学歴や経歴・会派などに囚われず、純粋な創作動機や自由な発想、直感に訴えかける力を重視」している。ここなら自分の力が発揮できるのではないか。このような発想を受け入れているため、展覧会は活気に満ちていた。
広すぎも狭すぎもない程よい大きさの画廊ではあるのだが、約50人、200点以上の作品は、主に縦に作品がアーティスト順に分類されていた。各壁面に平台が置かれ、立体物を手に取ることができる。この展示方法が、この展覧会の魅力の秘訣になっている。個としての作品だけではなく、横と平台との関係性によって、各作品が互いを引き立て合っているのだ。一枚の壁面、全体の空間を、各作品が成立させていくのである。美大出も、イラストレータも、工房も、ビーズ、絵本、塗り絵、コルク、羊毛、苔といった素材を用いた作品群が混然と一体化しながらも個が浮かび上がっているのは、個が全体を創るという当たり前の社会が形成されている姿に等しい。

権力者が社会を統治するように、主催者が展覧会をキュレーションするのが当たり前なのだが、「ミニアート展」は、作品が展覧会を創り上げている。しかも公募ということで、グループ展のような主旨が存在しない。玉石混合とならないのは、なぜか。

展覧会として成立しているのは、人間とは個を尊厳しながらも他者を尊重して慮り、社会を構成すべきだという主宰者の思いが、出品者に届いているからであろう。ルールは与えられるものではなく、個々が自分の為に生み出していくべきではないだろうか。そのような人間の姿を、この展覧会を通じて私は垣間見た。「ミニアート展」は、隙間産業ではない。むしろ、混迷と狭間にある現代がこれからの絶望的な時代に対して、向かうべき方向であると私は考える。

人間には生まれ、育ち、学び、働く意味がある。学歴、技術、富裕だけに価値があるわけではない。どれほどちっぽけなものでも、稚拙なものでも存在する意義がある。我々は、奴隷ではない。百人百様が当然であり、それを認め合った上で違いを理解すべきだ。人間は物語を綴り、それを話し言葉から絵や文といった書き/描き言葉にして、自分以外の者に伝える。それが伝播し、記憶に残り、歴史を形成してきた。発想し、試行錯誤を通じて発表し、他者のそれを受け取ることによって、自己を育んでいく。それが人間の本来の姿であると、どのような時代でも変わることはないと、私は信じたい。「ミニアート展」もまた、そのような展覧会であると、私は感じたのであった。これは主義主張ではない。人間は欲望だけではなく、繋がりと希望を携えて生きるべきだと思う。

2022年2月12日
宮田 徹也
日本近代美術思想史研究
著書:『芸術を愛し、求める人々へ』論創社


 

メディア掲載

『読売新聞 都内版(朝刊)』2022年1月21日(金)TOKYOウィークエンド・イベント情報
『装苑』2022年3月号(1月28日発売) JAM NEWS 文化出版局刊